つれづれ夜咄(旧韓ドラ・懐かし映画・時々ビョンホン)

韓ドラ・懐かし映画・時々ビョンホンのリニューアルブログです。内容少し変更

幼くして母を亡くした人物が多く登場する『源氏物語』

母恋しが女性遍歴の原点
実家へ里帰りして皇子を生んだ桐壺の更衣はその後病いがちとなり、源氏が3歳の時に亡くなってしまいます。
更衣の母は若宮をそのまま実家で育てようとしますが、夫もすでに亡くなっていて、有力な後ろ盾もなくまことに心細い。
遂に桐壺帝の申し出を受け、若宮=源氏を宮中にお返しする。そしてこの祖母も亡くなってしまう。源氏は幼くして父帝だけが頼りの孤独な境遇に置かれてしまうのだ。
平安時代の貴族社会では、生母が亡くなってしまった場合、女の子は父の妻の中で一番身分の高い者に預けられて育つ。というわけで継子いじめ物語がここに成立する。『落窪物語』、『住吉物語』など。
男の子は父親が責任を持って養育する。といっても父はミカドですから直接育てるのは乳人(めのと)と呼ばれる乳母ですね。乳をあげる乳母としつけや教育を担当する乳母と最低4人ぐらいはいたようです。
作者の紫式部自身が幼くして母を亡くしていて、父はその後正式な妻を迎えなかったので、乳人に育てられ、家庭的雰囲気の乏しい寂しい境遇で、その寂しさを紛らわすのが式部にとって学問や物語の世界でした。というわけで『源氏物語』にはこうした親の愛に恵まれなかった人物が源氏の他にも生涯の伴侶となる紫の上、息子夕霧、源氏が最も愛した女性である夕顔の娘玉鬘(たまかずら)などが登場します。また後半の宇治十帖に登場する姫君たちも母を亡くして父に育てられています。
とにかく若君のかわいらしさ、美しさ、賢さは群を抜いていて、どんな不機嫌な者も若君を見たとたん微笑まずにはいられない。
父帝は側室の女性達を訪ねる時も幼い息子を同伴。御簾の中にも入れてやる。
当時身分の高い女性は自分の父親、兄弟、夫、そして子供以外の男性には顔を見せないことになっている。ところが源氏は5、6才の頃から母でもなく姉でもない父の妻たちの顔を直接見て育つ。女好きにもなるし、女性との接し方も覚えるはずです。
そんな中で父帝が妻に迎えた女性が「亡き母更衣にそっくり」と、女房達が噂をする。藤壺宮である。母の顔をよく覚えていない源氏は母とも姉とも何とも言えないかけがえのない存在として藤壺を慕うようになっていくわけです。

 

父・兄・息子の3代の天皇に仕えた源氏

平安時代は「生前退位」が一般的
天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを国民に向かってビデオで語りかけられました。
80才を過ぎての連日のような「公務」。このビデオを見て、見なくても殆どの国民は「生前退位」に理解を示したでしょう。
私は「生前退位」までは思い及びませんでしたが、夫妻がテレビ画面に登場するのを見るたびに、「普通の人と違ってこの人たちの場合はきちんとしていなくてはいけないので大変だ」と思っていました。
姿勢も正しく、疲れたような態度は見せない。80才過ぎてこれは大変です。
せめて最後の年月を自由にのんびり過ごしてもらってもいいのではと思います。特別な立場の方々ですが、何といっても人間ですから。
ところで『源氏物語』の背景になっている平安時代は、天皇は急な病いで倒れたりした時は別としてほぼ「生前退位」ですね。しかも年を取ったからというほどの年令でもないのに退位しています。
この時代は政治が天皇を中心に行われていましたから、ちょうど総理大臣が交代するような感覚で、政治的事情で退位したようです。
昔は何といっても短命ですから、ある程度まで天皇の役目を務めると、皇太子への「譲位」を考えたようです。
源氏物語』でも源氏の父桐壺帝は弘徽殿女御(こきでんのにょうご)が生んだ源氏の兄に天皇の座を譲り、桐壺院を名乗ります。
源氏の兄朱雀帝も病気がちということで、年の離れた弟(実は父桐壺帝の妃藤壺と源氏の間にできた不義の子)に地位を譲ります。
こうして源氏は父、兄、息子と3人の天皇に仕える臣下という立場になるのです。
鎌倉時代武家政権になって政治の権力が天皇のいる朝廷から幕府に移ってからは「譲位」って、それほど意味を持たなくなったようで、そうしょっちゅう座を次に譲るということは無くなっていったように思いますが、調べたわけじゃないのでわかりません。

『太陽の末裔』軍のイメージアップのためのドラマ?

『太陽の末裔』完結
特殊任務の軍人は、上司から召集の命令が下ると、デート中だろうが何だろうが、すぐ中断して軍務のために駆けつけなければならない。
医師のモヨンはそんな特殊任務に就くシジンを愛しながらも理解することはできない。どんな任務なのか最も身近な家族にも言うことはできない「秘密だらけのパートナーなんて」・・・。
しかも命の危険と常に隣り合わせ。遂にそんな事態がやって来る。
紛争地で民間人を救出する任務に就いていたシジンとデヨンが爆発に巻き込まれる。二人は死んだ。だが遺体は見つからなかった。
二人の死は訓練中の事故として処理される。
でもドラマですからそれで終わるわけはない。実は二人は爆発の直前に民兵に拉致されたのだった。
これは多分、現実のISとかそうしたテロ組織を想定しているんだと思いますが、二人を救ったのはかつてシジンが助けた北朝鮮の兵士だった。
シジンは国境なき医師団のメンバーとしてアルバニアに赴任したモヨンが、シジンの遭難場所とされる砂漠地帯で、花を供えて悲しんでいるその場に現れ、デヨンの方は再びウルクに派遣されたミョンジュの前に現れる。バルカン半島だとされるウルクに100年に一度というほど珍しく雪が降った日だった。
こんな二人ですが、特殊任務の軍人を辞めるという選択肢はないんですね。ここまで軍人として訓練されてしまうと他の生き方はできない。
韓国には徴兵制があり、韓国の男であれば兵役は避けることのできない義務。
兵役を済ませてこそ一人前という考え方の一方、死ぬほど嫌なのも兵役。
だからこそ切実な思いでこのドラマを見た人が多かったのでしょう。
しかし日本も何だか近頃嫌な雰囲気になってきました。徴兵制はないけど、自衛隊員で犠牲になる人もこれから出てくる可能性があります。
ヒューマンドラマということですが、もしかしたら韓国軍のイメージアップのための作品かもしれない。
主人公のユ・シジンはどんな苦境にも勇敢に立ち向かうけど、ふだんは常にユーモアを忘れない男。それをソン・ジュンギが演じるのですから・・・。

昔も今も宮廷暮らしは辛い

昔も今も
今、日本の天皇・皇后夫妻は共に80才を超えられましたが、美智子皇后がまだ皇太子妃だったころ、「美智子妃いじめ」というのが、よく女性週刊誌の話題になっていました。
源氏物語」の桐壺帝と更衣の状況とよく似た状態でした。「いじめ」をした側はお姑さんの当時の皇后と、宮家の妃たちでした。それらに仕える女官たちも「源氏物語」の女房たちと同じでご主人の意向に沿って、「女の意地悪」に加担していたようです(週刊誌によればの話ですが)。
この場合、夫である当時は皇太子ですが、意地悪した女官を呼びつけて叱ったりするとよけい逆効果なんですよね。今でも学校や職場の「いじめ」ってそうでしょう。先生に言いつけたりすると「倍返し」される。
その時の皇后、昭和天皇の奥さんは美智子さんが「平民の出」というのが気に入らない。でも日本は戦争に負けて、皇室と天皇の兄弟の宮家以外はみんな平民になったんだから仕方ないと思うんですが、旧華族出身だったらよかったんでしょうかね。
でも敗戦後の旧皇族華族は特権を奪われて、財産税をがっぽり取られて邸を手放さなくてはならなくなった人達も大勢いたのですから、昔の身分がよくても何の役にも立たない。
美智子妃の場合は姑の皇后が70才頃から認知症ぎみになってしまい「いじめ」はこれを境に潮が干くように納まります。他の宮妃は立場が美智子さんより下ですから、いじめをするなんてとんでもないことで、心の内はともかく実際にそういうことはなくなった。
でも桐壺の更衣の場合はミカドの側室は大勢いますから、皇后にならない限り身分の上の方たちに一生遠慮して生きていかなくてはならない。気が遠くなります。
美智子さんは困難を乗り越えて今や皇后として天皇を支え、国民の人気も高い。
しかし皇太子妃雅子さんが困難を抱えることになってしまいました。「いじめ」はない代わりに縛られた自由のない宮廷暮らしは想像以上だったようですね。
源氏物語」に登場するお姫様たちはみな年下なのに源氏より先に亡くなっていきます。殆ど動かない、座っているというより横たわっている感じに近い生活だったそうで、とても不健康。高貴な女性はかよわいとうのが、尊ばれた女の魅力でした。庶民の女性はかよわくては生きていけませんが。

常に究極の選択をせまられる『太陽の末裔』

『太陽の末裔』10話まで見ました。
バルカン半島ウルク(架空の地名)だそうですが、その地で展開する国連の平和維持活動をモデルにしたドラマ。
毎回、何かしらの極限状況が設定されシジン(ソン・ジュンギ)は軍人として、モヨン(ソン・ヘギョ)は外科医として、究極の選択を迫られます。
韓国には兵役もあるし、PKOの戦闘部分にも参加しているので、その分、現実的な問題としてドラマを見る気持ちは日本の視聴者以上でしょう。そしてそれが中国大陸にも飛び火して、中国の視聴者がこのドラマの中毒にかかっているとか・・・。
アラブ系のVIP、亡くなったアラファト議長を思い起こさせる人物が倒れる。緊急手術をしないと命が危ないが、側近たちはこれを拒む。信頼のおける主治医を呼ぶというのだが。
このVIPの警護チームとシジン率いる特殊部隊が互いに銃を向けあう緊張状態の中で、モヨンが手術をする。

当地で大地震が起きて、建設中の太陽光発電所が倒壊する。中に閉じ込められた作業員を救出しようと奮闘する派遣部隊員たち。
助け出された作業員、だが命を峻別しなければならない。機材も医師も不足しているのだ。助ける命と残念ながら治療を断念する命と。その印のリボンを付けて回るモヨン。でもここでちょっと気になるのはモヨンのショートパンツ姿。やっぱりスラックスはいていてほしい。
脚を見せたいというスッタフの魂胆だろうが、いい加減そういうのやめたら?と思う。

もう一組のカップル
ソ・デヨン(チング)とユン・ミョンジュ(キム・ジウォン)。

デヨンはいわゆるたたき上げの軍人。ミョンジュは司令官という幹部を父に持つ軍医。モヨンと同期で医師修行をした間柄。
チングはビョンホン主演のドラマ『オールイン』で少年時代を演じましたが、実にうまかった。感心した記憶があります。いわゆる甘い二枚目ではありませんが、演技のうまさでそのポジションを得ている感があります。
ジウォンの方は超美人。司令官の父とあまりに違いすぎる。ちなみに一時都知事候補にと期待された嵐の桜井君のパパと息子の翔君は似てましたね。ほんとの親子ってそういうものでしょう。韓ドラもそういうところもう少し気を使ってほしいわ。
ミョンジュの父はエリートコースには乗らないデヨンを婿にしたくない。シジンを婿候補にと考えるのですが・・・。
こちらの恋の行方も気になるところですが、9話ではついに交際を許す代わりに軍人をやめて他の職業に就けと要求する。
軍隊って究極の縦社会。下っ端の軍人が自分の娘の相手なんて許せない司令官パパです。

 

 

偽りの世界の中で真の愛をはぐくんだミカドと更衣(源氏物語)

源氏物語つれづれ
ちょっとしつこいようですが、前回、天皇=ミカドの元に参上する時に廊下に「汚物をまき散らされる」と書きましたが、派手にパアーとまき散らすのではなく、どちらかと言うと真ん中ではなく、隅の方にちょっとわからないように落としておくのですね。廊下の真ん中は女主人である桐壺の更衣が歩く。お付きの女房は端の方を歩く。そしてどうも変な臭いがすると思ったら、着物の裾が汚れていて「キャー!」ということになる。
韓国ドラマでも宮廷で女官や宦官はうつむいてはじをそそくさと歩いていますが、あれと同じです。

実家を背負って宮廷入りする女性達
ところで大勢いる側室達のなかで、身分のそれほど高くない、実家の父親もすでに亡くなってしまっていて、有力な後ろ盾のない更衣がなぜミカドの目に留まりその愛を一身に受けることになったのでしょう。
それはミカド自身が孤独な存在だったからでしょう。
宮廷に上がる女性たちはそれぞれの実家の父や兄の意向を受けているのです。首尾よくミカドに気に入られ、皇子を生めば、その子は次の天皇です。父や兄は天皇の親戚として政治に力を振るえる。それをみんな願って娘を差し出すのです。娘たちもそれがよくわかっていますから何とかミカドの目に留まろうとする。
ミカドのほうも有力貴族には気を使います。ミカド自身の財産もあるでしょうが、やはり豊かな資金を提供してくれる妻の実家は大事です。
ですから源氏の父になる桐壺帝は身分の高い弘徽殿の女御にはそれなりに気を使い、皇子もすでにいます。ほんとだったら側室の一人ではなく、皇后にしてもいいくらいなのにそうはしていません。その気になれない。物語の中でこの弘徽殿の女御はしばしば政治的動きをします。「実家第一」の人ですね。
だからミカドは求めていたのです。実家の繁栄を第一に考えるような女性ではない人を。それが桐壺の更衣だった。

真の愛で結ばれたミカドと更衣
更衣とはミカドのそばで着替えを手伝う女房のような存在で、そばにいるのだからミカドの愛を受ける機会もあるという程度の身分。
韓国ドラマでもチャングムのような料理人として働く女官も「王の女」とされていました。チャングムのお友達が王に見初められ、たしか側室になってましたよね。
すでに父もなく、実家の野望を背負っていない更衣とそんな野心を持った者達の間で気を使わなければならないミカドが心通じ合う仲になったのは自然な流れ。
年令は特に書いてありませんが、若い二人だったのでしょう。理性はもう働きません。毎夜のようにお呼びがあります。宮廷秩序を乱した二人。
でもミカドに抗議するわけにはいきませんから、憎しみを一身に受けるのは更衣のほうです。
そんなこんなで、皇子である源氏は幼くして母を失う運命になる。

最初から下世話な話で始まっている『源氏物語』

源氏物語つれづれ
カルチャーセンターで、10年ほど「源氏物語講座」を受講していました。第一巻「桐壺の巻」から最後の「夢の浮橋」までテキストを先生が読み解説していくというもの。受講生はそれをひたすら聞き時にメモを取るという形式です。
週一回、1時間半ぐらいでしたか。小学生だったらこんな形式我慢できないでしょうが、そこは大人(ほぼ全員女性)の物語好きの人達ですし、聞くも自由、去るも自由ですから。
というわけで、せっかく講義で知ったいろいろについてこれから少しづつ綴ってみたいと思います。
恋愛部分より、下世話な生活部分について思ったこと、知ったことなど・・・。
天皇の部屋からは遠い桐壺
高校の古典の授業では必ず?この長大な物語の冒頭の部分が引用されているはず。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらたまいける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまうありけり。
天皇には正式な妻=皇后のほかに側室が大勢いる。次の天皇になる子供を得るためですね。これは江戸時代の将軍や大名も同じ。
源氏の母になる「桐壺の更衣」もその一人ですが、順番というか、身分がそれほど高い側室ではありません。
近現代の社会と決定的に違うのは身分によって、住む部屋も着るものも区別されていて、それを守らなければ「習慣を守らぬ者」として非難され、罰を受けることになる。
桐壺という部屋は天皇の部屋からは遠いのですね。で、天皇からお呼びがあると、いくつもの渡り廊下を通ってお部屋に行かねばなりません。それがたまにじゃなくほぼ毎日、となれば他の側室は面白くありません。
そこで意地悪をする。通り道にわざと汚物=排泄物をまき散らす。このころの排泄はおまるにして、それを外に捨てに行くという方法ですから、こういうことが簡単に?できるわけですね。するのはそれぞれの側室にお仕えしている女房達です。女主人の心の内を推し量って邪魔をするのですが、宮廷にいる女房達って、きれいな着物を着て、上品な言葉遣いをしているのは表向きだけ。実はかなりあくどい。女同士でもまれている内にすれっからしになっていくのですね。
渡り廊下にはところどころ扉があって、示し合わせて開かないようにしめてしまい、行くも戻るもできず閉じ込められてしまうということもしばしば。
桐壺の更衣本人に直接こういうことをすると、それはそれでおとがめの対象になりますから、お供の女房が被害を受けて、着物の裾が汚れて耐えがたい状態になる。
そんな中で更衣は男の子を生む。「源氏の誕生」です。
最初から随分、下世話な話から始まっているのに、高校生の頃はそういうことにあまり気が付かなかった。