つれづれ夜咄(旧韓ドラ・懐かし映画・時々ビョンホン)

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「源氏物語」の時代背景は式部の生きた時代より100年ほど前

母親似の息子夕霧
余りしっくりしない源氏と葵上の夫婦仲ですが、それでも夕霧という息子が生まれます。この息子は性格も容姿もお父さんには似ていないようです。生真面目でやや融通が利かず、でも仕事熱心で周囲の信頼も厚い男として成長していくことになります。
雲井の雁という幼なじみと結婚しますが、のちに瀕死の友人柏木に、妻の力になってくれと遺言されそれを忠実に果たします。この場合「力になってくれ」というのは経済的援助と第2の妻の扱いをするということですね。これに姉さん女房の雲井の雁は激怒。でも夕霧は妻と柏木未亡人のところに通う日数をきっちり平等に分けて対するのです。
母親の性格を色濃く受け継いだ夕霧です。でもこの息子はほんとはとっても可哀想なのです。なぜなら産後の肥立ちが悪くてお母さんの葵上は息子を生んでまもなく死んでしまったから。
これにはそのころ源氏が通って心を寄せていた六条御息所の怨霊が取りついた結果ということになっていますが、やはり出産後の体調がよくなかったのでしょう。身分の高い女性はあまり動かず部屋の中でごろごろしていることが多かったそうですから、どうしてもお産が重くなる。出産年齢も10代、栄養も今ほどよくはないでしょうから、出産で命を落すことも珍しくなかった時代の反映でしょう。
あちこちで女性と浮気をすればもっと源氏の子供がたくさん生まれていてもおかしくないのですが、ストーリーをすっきりさせるために源氏の子供は、正妻葵上の生んだ夕霧と不倫関係の藤壺の宮との間の後の冷泉天皇と晩年、兄朱雀帝に頼まれてその姫女三ノ宮を正妻に迎え、その宮と柏木との間に生まれた薫だけ。
源氏物語の背景は式部の生きた時代より100年ほど前の時代。
紫式部は栄華を誇った藤原道長に請われて娘彰子のいわば教育係の女房として雇われたわけだけれど、その時代のまま物語を展開するといろいろ差しさわりがあるので、時代を変えて物語を作ったと言われています。醍醐、村上両天皇による天皇親政の時代、つまり藤原氏の影響力を抑えた時代ということです。
歴史の授業でも必ず出てくる「大化の改新」。中大兄皇子中臣鎌足蘇我入鹿を宮中で暗殺して権力を握って以来、中臣改め藤原氏は絶大な力を持つようになっていく。
これを何とか抑えようとしたのが平安京に都を移した桓武天皇。この桓武天皇百済武寧王の末裔である高野新笠と言う人が生母なのですね。そう古代から日本と朝鮮はこんな深い関係にあったんです。
その桓武天皇ががんばって、ようやく天皇親政の政治ができるようになったのが醍醐・村上天皇の時代ということで、紫式部藤原氏、それも道長の一族ばかりが重要な役職に就くということには疑問を感じていたようですが、そういうこともわかっていて、道長は式部に「源氏物語」を書かせたんですね。物語を書くには紙が必要ですから、当時貴重な紙を式部にけちらず与えた。式部が書くと、それを声の良い女房が彰子の前で読み上げ、そして回し読みされたり、書き写されたり、朗読会が開かれたりしてこの物語は普及していったんですね。