つれづれ夜咄(旧韓ドラ・懐かし映画・時々ビョンホン)

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父・兄・息子の3代の天皇に仕えた源氏

平安時代は「生前退位」が一般的
天皇陛下が「生前退位」のお気持ちを国民に向かってビデオで語りかけられました。
80才を過ぎての連日のような「公務」。このビデオを見て、見なくても殆どの国民は「生前退位」に理解を示したでしょう。
私は「生前退位」までは思い及びませんでしたが、夫妻がテレビ画面に登場するのを見るたびに、「普通の人と違ってこの人たちの場合はきちんとしていなくてはいけないので大変だ」と思っていました。
姿勢も正しく、疲れたような態度は見せない。80才過ぎてこれは大変です。
せめて最後の年月を自由にのんびり過ごしてもらってもいいのではと思います。特別な立場の方々ですが、何といっても人間ですから。
ところで『源氏物語』の背景になっている平安時代は、天皇は急な病いで倒れたりした時は別としてほぼ「生前退位」ですね。しかも年を取ったからというほどの年令でもないのに退位しています。
この時代は政治が天皇を中心に行われていましたから、ちょうど総理大臣が交代するような感覚で、政治的事情で退位したようです。
昔は何といっても短命ですから、ある程度まで天皇の役目を務めると、皇太子への「譲位」を考えたようです。
源氏物語』でも源氏の父桐壺帝は弘徽殿女御(こきでんのにょうご)が生んだ源氏の兄に天皇の座を譲り、桐壺院を名乗ります。
源氏の兄朱雀帝も病気がちということで、年の離れた弟(実は父桐壺帝の妃藤壺と源氏の間にできた不義の子)に地位を譲ります。
こうして源氏は父、兄、息子と3人の天皇に仕える臣下という立場になるのです。
鎌倉時代武家政権になって政治の権力が天皇のいる朝廷から幕府に移ってからは「譲位」って、それほど意味を持たなくなったようで、そうしょっちゅう座を次に譲るということは無くなっていったように思いますが、調べたわけじゃないのでわかりません。